人間と動物との違い

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河口湖からの富士山が一番好きです。

★ 人間は動物の中で「何が特別」なの?

◇ 人間は「言葉を持つ」ことでどう変わったの? ・・・・・・・・中高校生向き

                          人間存在研究所 山田 武

① ぼくたち人間はいったい何者だろうか?日本では昔からそんなことはあまり考えなかった。でも、人間や民族どうしの対立が絶えなかった大陸諸国では、そのような争いの中で人間どうしが悲しみや絶望を経験しながら、いったいぼくたち人間は、ほかの動物とどう違うのかと考えてきたんだ。大昔、未開の社会では、自然の中の強くて不思議な動物や自然現象から生きるパワーをもらっていた。けれどそのうちに、人間は他の動物とは違うことに気づいて、自分たちの祖先や自分たちの運命を決める強いパワーを持った超能力をもつ「神々」を考えて、空想のなかで自分たちの存在の意味づけをしようとしたんだ。それが各民族が持つようになった「神話」という物語だ。

② その後、様々な超能力者があらわれ、ユダヤ教などでは、動物は人間より劣る自然の一部で、人間が生きるためや神に仕えるため支配の対象にされてしまったんだ。つまり、人間は神によって神に似せて造られ他の動物を支配できる「万物の霊長」とされたのだ。でも科学とりわけ進化論や生物学の発展によって、動物と人間との違いはそれほど大きいものでないと分かってきたんだ。人間は、直立歩行や自由な手の使用で動物と区別されることも多いね。けれど、人間の賢さや他の動物との違いは、直接的な知覚や行動に左右されず、脳の中で使える言葉(内言)で考え、その情報(知識)を言葉で整理し交流できることなんだよ。

③ ふつう言葉は意図や情報(知識)を伝える手段と考えられているけれど、伝達の前に情報・知識の内容を明確にしてから伝える必要があるよね。「えーと、えーと何をどのように話せば良かったんだろう」、と話す前に疑問(what, how,why etc.5W1H)を解消してなければならないからね。また、話ながらでも「ああでもない、こうでもない」と言葉で考えながら話すよね。でも動物は,知覚対象から独立してゆっくり考えようとすることができないんだよ。賢いといわれているチンパンジーだって、音や叫び声などに反応することはできるけれど、目の前にあるものでないと考えることはできないんだ。人間の言葉のどこが特別なのかといえば、言葉を使って目の前にない刺激やイメージを頭の中に想像(創造)し、言葉で表現し伝えることができることなんだ。

④ でもそれでほかの動物より偉いということはないよな。そんな言葉のパワーを持った人間のすることは、愚かなことが多いよね。人間は、神を創って自分の力や正しさを説明したり、自分の主張に従えようとしたり、わざと誤魔化し平気でウソをついたりするんだ。動物にも敵をあざむく知恵があるけれど、人間の場合よりも単純で自然の秩序に従っているだけなんだ。人間の場合は、自然自体を破壊していることに気づかないどころか、自分だけは神に守られているから、死後は幸福が保障されていると考えている宗教もあるんだ。

⑤ そのような人たちの中には、戦争や災害が起こっても「信じる者は救われる」と言って、人間の起こしている悲劇に責任を感じないで、自分たちだけの幸福を考えてしまうんだ。このような人たちが、人間と言葉についてよく知ったなら、きっと世界の平和が来ると思うね。なぜって、人間は言葉を持つから賢いといっても、他の動物と同じように限りある地球で、共通の生命の祖先を持ち、やがて死んでしまうのだからね。それが分かるのも言葉を持っているからなんだよね

(※1)「神話」について:

人間は、言語を持つことによって、自然や社会の現象について、その因果関係(何がどのようにあるかwhat, how、なぜwhyあるのか等)や現象間の関係性等(5W1Hや文法的表現形式・・・・・前置詞・助詞構文、形容詞比較級等々)を問うようになった。言語は、高等動物(おそらく哺乳類以上)が、厳しい自然環境の中で生きてゆくために、仲間・敵・食糧・安全等を確保するための認識能力を情報の伝達や記憶の蓄積によって飛躍的に高めた。

未開社会においては喜怒哀楽を引き起こす単純な因果関係で、精霊や神秘的自然現象のパワーに対する祈りや儀式で心を勇気づけていた。しかし自然を観察し、現象の事実に即した思考が働くようになると、より論理的説明が必要になってきた。つまり、なぜ死ぬのかなぜ生きているのか、季節の移り変わり、雨の降る原因、凶作の起こる理由、天変地異の原因等々より説得力のある合理的な説明・意味づけが必要になってきた。

とくに農業の普及によって余剰生産物がうまれ、社会秩序を維持・統合する権力者が現れると、自らの権力の正当性を意味づけ説明する必要から、より説得的な合理的物語が必要とされた。そうして創られたのが神話である。日本では、『古事記』『日本書紀』に見られるように天皇制を権威づけるため「天孫降臨」の神話が作られ、八百万(やおよろず)の神々を祭る神社によってそれぞれの地域の人民の生活の安寧(あんねい)を図る信仰の対象とされた。ギリシアでは、各ポリス(都市国家)にふさわしい守護神(アテナイには女神アテネ)がアクロポリス神殿に祭られ、各ポリスの秩序と統合の役割を担っていた。エジプトやメソポタミア、インドや中国の文明においても、神々の特徴は異なる神話が作られたけれども、その内容や意義はそれほど変わることはない。

(※2)「言語」について:

 

類人猿の認知と判断・思考 

 ――直接的・感覚的・直知的判断による問題解決―― 

 動物的思考すなわち直観的認知と判断は、欲求を充足するための問題解決(例えば狩をする)のために、過去の学習経験と直接知覚的状況に基づいて行われる。この様な思考は狩猟行動等と直接結びついている。獲物を知覚しながら、相手の状況に応じて最善の行動を取ろうとするのである。人間のように狩猟行動をする前に、作戦を立て仲間と打ち合わせて共同行動を取ることはない。そのような「行動と直接結びついた認知や判断」を、動物的思考と名付ける。このような思考は、類人猿のように高度な認知や思考能力を持つ動物にも当てはまる。類人猿のリーダー(ボス)は、グループの力関係に常に注意を払い、行動と独立に思考しているように見えるが、実は状況の緊張の中で「行動を抑えているという行動の中で思考している」のである(思考が完全に行動から独立して脳内で行われるとき人間的思考が成立する)。

 

 人間を含めた動物が、どのような問題状況の中で、どのような思考・判断により、どのような行動を取るか。その判断基準は、本能的反応を除いて経験的に学習される。例えば以下のごとくである。

 

模倣:他者の経験的判断・行動の自発的・本能的学習。動物が適応的に生存するために、他者(成獣)の適応的行動を学習するのは最も合理的な生得的適応方法である。

 

洞察:動物の場合、状況を観察しながら過去の学習経験(情報)を関連づけて的確な判断をする認知活動。対象の状況への直接的判断を超えて、時間的空間的に離間した状況を見通して適応的判断を行う。類人猿において最も優れた洞察力を持つ(ケーラーの実験等)。

 

学習:刷り込み(本能的学習)、試行錯誤、条件反射、刺激般化等によって適応的反応・行動様式を獲得すること。どのような学習経験を獲得したかによって、後の適応的行動選択(判断・思考)に影響を与える。

 

シンボル操作:多くの動物(例えばハト)では、シンボルA(例えば音声刺激”まめ”)によってシンボルB(例えば図形刺激「まめ」)を選択的に指示することが学習(訓練)できても、その逆であるシンボルBによって「学習(訓練)せずに」シンボルAを選択的に指示することはできない。この様な逆推論が学習なしで可能な動物は類人猿等に限られるとされる(刺激等価性─逆推論が可能であっても、動物の逆推論への関心を実験的に観察するのは難しい。言語を獲得した人間の幼児では容易に可能である)。

 

類人猿によるシンボル操作は、創造性をもたない 

 人間に最も近い類人猿ボノボチンパンジーは、人間のように知覚的状況から離れて話すことはできないが、かなりの記号的状況を理解し操作(記述)することができる。類人猿は、言語などの記号(シンボル)が、「目の前にはない対象」を象徴(指示)していることを知っているだろうか? S.サベージーランボーは、ボノボについて「ボノボは、大きさから言っても姿から言っても、チンパンジーではない。彼等はむしろ、小さな脳と格別に長い体毛を持った人間と言われるのがふさわしい。」と述べている。彼女は、カンジと名づけられたボノボの研究において、キーボードを利用した図形記号による簡単な会話を行い、英語の構文を理解し記述し適切な行動ができたことを報告している(S.サベージ-ランバウ, R.ルーウィン『人と話すサル「カンジ」』石館康平訳 講談社1997)。つまり、図形記号(シンボル)の組み合わせによって示す意味内容を、実際の状況ではなく「頭脳の中に再構成」し、表現伝達していると考えられる。この報告では、実験者の態度を読み取る「賢いハンス(計算できる馬の名前)」効果ではなく、対象の状況を自ら主体的にキーボードを用いて図形的に記述できる。これを人類学者バーリングの関心に従って検討してみよう。

 

 「カンジは、最初に要求を耳にしたときには、その物も場所も見えない場合でさえ、部屋の外へ出て、特定の場所から物を取ってくることができた。」「カンジは、語順に意味がある3種類の文に正しく対応できた。『ボールを岩の上に置いて』か『岩をボールの上に置いて』か、語順が重要な形式をしている43の礼のうち33例(79パーセント)に正しく応じた。」バーリング,R『言葉を使うサル』松浦俊輔訳 青土社 2007 p25-27)※(注)

 

 この「天才サル─カンジ」は、確かに驚異的な人間とのコミュニケーション能力(信頼関係)をもち、人間並みの認知力、理解力、シンボルの操作・構成能力を示している。しかし、人間言語との決定的な違いは、「音声操作能力の有無」である。音声言語をもたないことによってカンジは、自己の動作と母音中心の叫び声、そして与えられた図形文字の範囲内でしか自分の意志を伝えることはできない。また実験者に首輪をはめられ、自己の意志と表現内容まで実験者に支配されている。サベージ-ランバウが類人猿の認知やシンボル操作によるコミュニケーション能力の卓越性を実証したことは、特筆すべき研究成果であるが実験者と被験動物、自由な人間存在と拘束された類人猿のこの力関係の差こそ人間言語の決定的優位性を示すものなのである。彼女は人間特有の音声言語の意義を過小評価して次のように主張する。

 

 「もし類人猿が人間と同じように、教えられることなしに言語を習得することができるとすれば、それは人間が動物とはまるでかけはなれた、独自の知性をもっているのではないことを意味する。たしかにホモ・サピエンスは、会話に適した音声と、道具をつくる能力を与えられている。しかしこれは、彼らが他の生物とはちがった次元でものごとをとらえていることを意味しない。カンジが見せてくれた言語習得の過程は、言語の理解こそが言語習得にとって他の何よりも重要であることを劇的に示してくれる。言語を音声として発するということは、適当な器官が備わっていれば可能な、副次的な処理機能の問題なのだ。しかし言語の理解は、概念的な把握の問題、つまり音声の背後にある音声に込められた意味の問題であって、カンジが理解していたのはまちがいなくこれなのである。」(『人と話すサル「カンジ」』 p200 下線は引用者による)

 

 彼女は、音声信号(言語)や図形信号(文字)の示す意味概念を理解すれば、人間言語と図形文字の違いはほとんどないと考えている。しかし、これは人間言語の浅薄な理解に由来し、類人猿に対する実験観察行為が、研究者の言語的優位性に基づいていることに無自覚であることを示している。別項(類人猿研究の限界)で詳しく説明するが、人間言語は音声信号の意味理解だけでなく、その信号の脳内での内的な操作(文法的思考・情報操作・対象の再構成)とも関わっている

 

 彼女が報告しているように、類人猿は音声言語をもたないが、人間に近い高度な認知洞察判断能力を持っている。そして、彼女も音声言語(信号)による内的情報処理(人間的思考)だけは、類人猿には不可能であることを認めている。だがこの音声信号による情報処理が可能か否かが、人間と類人猿を距てる決定的な深い溝なのである

 

 つまり人間言語の特徴は、意味の理解や意図の表出だけでなく、音声信号の処理(情報処理=記憶・思考)による言語的創造(想像)の能力にあり、それによって自然的世界を超えて人為的世界(文化)を創造することにあるのである。彼女は人間言語に伴う人間の創造性については一切述べていない。類人猿は、研究者の巧妙な統制と信頼関係のもとで、高度な認知的能力や信号操作能力を発揮することができる。また類人猿の自発的学習や創意が見られる。しかし、人間言語のような社会性や文化的創造性をもたないことは、誰の目にも明らかであり、この特徴の欠如こそが類人猿の限界を示すものなのである。

 

※(注) ボノボの優れた言語(人間の発話と図形シンボル)の理解力・記憶力(2000語以上の英単語)と図形の操作表現力、人間並みのコミュニケーション能力。名詞、動詞、形容詞の文構成能力等々。また実験者の言語指示”Take the umbrella outdoors”と”Take the umbrella indoors”を区別して実行したのは46回中38回で約80パーセントの正解率、3つの単語の構成課題の正答率はほとんど8割前後であった。